寂しい考え方

「寂しい考え方をする人やね」


もう何年も前に言われた言葉だけど、いまだに僕を締め付ける。


傍からみれば寂しい人生なので、傍から見れば寂しい考え方になるのも当然なのだけど、「わかるわかる、ですよねー、そんなことよくあるある。」そんな儀礼的無関心による同意で癒されることはなくて。それよりも否定されたい。寂しい考え方をするなと否定されたい。まぁ、、、否定されても変わらないんだけど。

唯一否定してくれた人は、いくら否定されても変わらない僕の寂しい考え方に呆れて、何年も前にはるか遠くなので、僕は今日も寂しい考え方。



否定されたいと言っても、僕は仮面の奥を見られるのを非常に、非常に嫌がるタイプであり、これは仮面ですよーとの前フリでそれ以上踏み込むことを留まらせる手をよく使うのではあるが、それでもずけずけ人の心の領域に踏み込んでくる人には不快感を覚えるという矛盾。いつもニコニコ笑顔の無表情であるところの僕はその不快感を滅多に表にこそ出さないものの。

我ながらややこしい性格だと思う。時には僕の張り詰めた心の防壁にスッと入ってくる人がいることにはいるのだが、自分でもその条件が分からないし、入り込もうとしていることに気付いたら(相手が意図的に入ってくるというより、相手に対して自分が開いていくイメージ)不快感を感じなくても不快感を覚えた時と一緒でやっぱり拒絶するっていうか、シャッター閉じちゃうんだけども。

臆病におどおどと人の心のドアをノックするタイプは、はなっからアウト。俺も臆病なのにいちいち傷付け合わないように気を使って心を開いてられっか、シャットアウトだ!!!

どうすれば心を許せるようになるんだろう。なんで閉じちゃうんだろう。